翻訳の出来は先生でも意見が分かれる

私の知り合いは、翻訳学校に行ったことがあるそうです。私は彼女の話を聞くまで、翻訳とは決まった工程があって、それを学べば仕事として食べていくこともできるだけの技能がつくと思っていました。ところが、彼女曰く、自分がスペイン語から翻訳した文章はある先生にはダメ出しをされるのに、また違う先生にはよくできていると褒められるのだそうです。ここで私は、翻訳には見る人によって違う意見になるのだと初めて知りました。既にある文章を訳すのであって、0から何かを生み出す芸術ではないため人によってそこまで意見が分かれるとは意識したことがなかったのです。

でも確かに、言われてみれば翻訳者によってその人に性格は表れてしまうなあと感じました。本来ならそれはいけないことだと思います。出さなくてはいけないのは翻訳者の性格ではなく、原作者の性格なのですから。ただ、日本語が彩り豊かだということからも、それを全くなしにしてしまうのは不可能なのでしょうね。

翻訳学校に通っていたという彼女は、ダメ出しを出された先生からは「まるで教科書のようで直訳です」というようなことを言われたのだそう。だとすると私たちが学んできた英語はまるでダメな文章のように思えます。実際確かに直訳すぎる日本語があることは皆さん感じていると思いますけどね。

私はこれを聞いてから英語のビジネス書の翻訳をしたことがあるのですが、その時にはこの話を少し思い出しながら行いました。たくさんの応募者の中から一人を選ぶとい仕事に応募したのですが、その時は残念ながら落選しました。ここでは正確さはもちろん、その翻訳から出る人柄を選んだようにも思えました。

私は、ナルニア国物語のように語尾が「~しました」となっているものが読みにくく、ハリーポッターのように「~した」の方が好きです。日本語は表現が豊かなことから、どのように訳すかというのは難しいと思います。その分多くのことを表せられますが、メリットだけではないのだなと感じます。